【回顧録:阪神淡路大震災】②元凶探しの旅
阪神淡路大震災を起こした兵庫県南部地震。
発生直後からその調査はどんどん進んでいました。
筆者は調査にまったく関わっていませんでした。
しかし、どうしても現場を知りたく、
発生から1年後の1996年3月、
単身、兵庫へ向かいました。
旅行なら、県地図や観光マップをもっていくところを、
「にごまん」の地形図(※)をもって。
※にごまんの地形図:
地形図とは、標高を示す等高線を
地図全面に引いてある地図のこと。
「にごまん」とは2万5000分の1の縮尺の
(実際の250mを1cmで表示)この業界での俗称。
まずは明石港からフェリーに乗り、淡路島へ。
この当時はインターネットもそれほど普及しておらず、
筆者は、兵庫県南部地震を起こした張本人、
野島断層の位置を正確に知らないまま現地へ赴きました。
観光マップをもっていないので、
野生の勘で突き進みます。
大まかに北西部だとはわかっていたので、
報道された内容と地形図から、
ここではないかとあたりをつけて、
道なき道を山登り。
そう、気づいたらケモノ道さえないところを
山登りしてました。
アナログの腕時計と太陽の位置、
そして地形の勾配(起伏の激しさ)から、
自分がどこにいるのかを常に気にしながら進みます。
今思えば、当時はGPSなどなくても、
自分のいる位置と紙の地形図上での位置関係は、
対して悩まずに体が感覚で感知していたんだと思います。
慣れとはすばらしいものです
筆者は、この地震でもっとも有名になった家屋、
断層の真上に建っていたため家がまるごとずれた、
その家を探していました。
山を分け入ること1時間。
ふと目の前が開けたと思ったら、
目に飛び込んできたのは、
ぺしゃんこにつぶれた納屋(と思う)でした。
老朽化により徐々に崩れ落ちたのではなく、
地震の被害だということは直感で分かりました。
人の住むところでなくても、建物があるということは、
この辺に民家が存在する可能性がある、
そう思い、地形図を丹念に確認して、
再び歩を進めます。
するとどうでしょう。
あの家です!
とうとうあの家に辿り着きました!
家の壁も、お勝手の入り口も、
断層によってずれたままです。
ピンク矢印の「横ズレ」成分と
青矢印の「縦ズレ」成分の
両方があったことが、一目瞭然です。
気づくと、ワンワン! と
犬の元気な鳴き声が聞こえます。
報道でもよく映った、
この家のワンちゃんです。
犬が大好きな筆者はすぐさま近寄ります。
多くの来訪者に慣れているのか、
もともとの性格なのか、
筆者にすぐになついてくれました。
犬が元気、ということは、
この家の住人も、ここに暮らしているということです。
ここでみなさん、考えてみてください。
地震から1年2ヶ月後です。
上下左右にずれた家で、14ヶ月も暮らしてる???
おかしいと思った人もいるかも知れません。
しかし、これが震災の現実なのです。
地震は、何の前触れもなくやってきます。
ですから、家を新築して住み始めた次の日に、
地震で家がめちゃくちゃになる可能性もあるんです。
突如、家がぐちゃぐちゃになったからって、
次の家にさっさと住める人はそうそういません。
このお宅の事情は分かりませんが、
大変なご苦労があったと思います。
ギリギリまでその家に住み続けないと仕方ない、
それが震災にあった多くの人の現実でしょう。
次回は、いよいよ地震の本体に迫ります。
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