「地震=原発」とする人の謎

2019/04/29

まったく不思議でならない。
東北地方太平洋沖地震によって起こった東日本大震災(以後3.11)の話題では、
必ずと言っていいほど「地震=原発」という意味を含んだ発言をする人がいる。
そういう人にそもそも論として聞きたい。
「原発は自然(nature)か?」
答えは言わずもがな。
コンクリート、人為的核融合、圧力制御、電気etc、
こんな科学技術のオバケみたいな複合体、
ほかの動物に比し異常に脳が発達した、
自然界では異端であるヒトという動物しか生み出せない、
まったく自然とは乖離した代物である。
これに対し、地震は自然である。
正しくは、自然現象である。
ヒトは制御できない。
この時点で早くも「地震=原発」という発想が
ナンセンスであることがわかる。
ではなぜ「地震=原発」という発想をする人がいるのだろう。
それはおそらく「危険」という用語つながりが
そういう人を生み出すのではないかと思う。
まず、最初に正しい基礎的知識が必要である。
地震そのものは危険ではない。
地震というのは地表を構成する岩石にずれが生じることである。
そのずれは、非常にゆっくりと進行することもあれば、
一気に進むこともある(これを破壊という)。
一気に進むずれのうち、そのずれによって生じた波(地震動)が、
人間が生活する領域に達して地面に大きな揺れが生じたとき、
はじめて「危険」なものになるのだ。
すなわち、人々が思いこんでいる「地震=危険」というのは、
正しくは「人の生活圏に達した大きな地震動=危険」なのである。
また、原発そのものも本当に正しく運用されれば、
平時であれば崩壊に至るほどの危険性は実に低いものである。
私は原発に関しては素人なのでこれ以上のことはいえないが、
ここでも単に「原発=危険」というのはおかしく、
「原発になんらかの事故が起きたら危険になる可能性がある」
くらいのものではなかろうか。
さて、危険という言葉と地震・原発の関連を見てきた。
どちらも、その存在が100%危険であるということではない、
というのがおわかりいただけたであろう。
危険であるのは、なんらかの条件がそろったときに発生するのである。
だから、そもそも
「地震=危険」
「原発=危険」
という式は間違いであり、
その間違った式から生じる
「地震=原発」
という式は、なお間違いなのである。
しかし、前提としての
「地震=危険」
「原発=危険」
を信じてしまっている人がいるため、
その人にとっては小学校の算数で習った証明問題、
「A=Cであるとき、B=Cである。
ゆえに、A=Bである」
が成り立ってしまうのだ。
実はこの問題、どこにでもよくある風景なのだ。
たとえば、こういうのはどうだろう。
∞∞∞
小学生のジロウ君は、
大きな蚊が友達のサブロウ君のほっぺたに止まっているのを発見しました。
ジロウ君は、
「サブロウ君、蚊をしとめるからじっとして動かないで」
と言いました。
二人は蚊が逃げないようじっと息を潜めました。
ジロウ君は期を見計らい、「パシッ!」っと蚊を叩きました。
手のひらを見ると、血は出ていません。
「やったぁ! 血ぃ吸われる前に撃退してくれてありがとう!」
と、サブロウ君は大喜びでした。
∞∞∞
実にのどかな光景である。
ところが、この物語を別の角度から見ていた人がいた。
タロウ君である。
∞∞∞
タロウ君は、教室に入るなり、
ただじっとしているサブロウ君のほっぺたを叩く
ジロウ君の姿を見ました。
びっくりしたタロウ君は急いで職員室に行きこう言いました。
「先生! ジロウ君がサブロウ君のほっぺたを叩いてたよ!」
先生はびっくりしました。
自分のクラスで「いじめか!?」と。
そしてジロウ君を呼び出し、叱責しました。
「ダメじゃないか! 人を叩くなんて!」
∞∞∞
先生は、サブロウ君に感謝されているジロウ君を叱る、
というナンセンスなことをしている。
これは、どういうことから起こったのかというと、
「ジロウ君=人を叩く人」
「悪い人=人を叩く人」
ゆえに
「ジロウ君=悪い人」
という式が、先生の中で成り立ってしまったからなのである。
つまり、
「人はある1点において共通性を見いだすと、
短絡的にイコールで結びつけてしまうことがある」
という習性があるのだ。
恋愛においてもこういうド勘違いはよくあるだろう。
「私=じっと見られてる」
「好かれている=じっと見られてる」
ゆえに「私=好かれている」
#実は、ただ単にご飯粒が顔についているだけだった。
「目つきの怖い人=暴力的な人」
「自分に危害を加える人=暴力的な人」
ゆえに「目つきの怖い人=自分に危害を加える人」
#実は、ただ単に近視の人が眼鏡をなくして見えてないだけだった。
こういうくだらない事例を挙げるときりがない。
そう、それほどに「地震=原発」という式はくだらないのだ。
この、くだらないことを回避するために何が重要かというと、それは
「定義の確認と因果関係の把握」
に尽きる。
定義は前述したので、因果関係をのみ言及すると、
・地震が起きる
→地震で原発のある町に大きな揺れが生じる
→その揺れの大きさは大きすぎて、原発建屋の耐震性を超えている
→原子炉の二重・三重の安全設計をも脅かす被害が建屋に生じる
→炉心溶融にて放射性物質の漏洩の危険がある
→漏洩する放射性物質の量は大量である(※)
→放射性物質が大気に撒かれる危険がある
→放射性物質から発せられる放射線が人体に及ぶ可能性がある
→発せられた放射線の量は、人体への健康被害を引き起こす量である
ここまで把握して初めて、
地震と原発、そして危険という言葉を関連づけられるのだ。
#何十年にもわたって人の住めない土地になる、
という危険性の議論であれば(※)までの関係でよい。
今後、「地震=原発」の発言をする人は、
ぜひ定義の確認と因果関係の把握を怠らないでいただきたい。
ましてや、国民生活に直接的にも間接的にも影響を及ぼす、
政治家や行政、ライフライン関連企業の人ならなお。
そして最後に、
そもそも地震と原発は違うもの。
だから、どうか地震学者に原発のことは聞かないでほしい。
#実はこれを一番言いたかった。