総合学問の地球科学
「地学」に触れた記憶のある大人はどれくらいいるだろう?
1970年代~80年代に中学生をやっていた人であれば、
もしかしたら週に1度ほど地学の時間があったかもしれない。
また、致し方なく5教科を選択する「センター試験受験者」の一部の人は、
消去法で「地学」を選んでいるから、ほんのわずかながら記憶にあろう。
たいていの大人は「地学はオマケ」とか「地学はオタク」
はたまた「地学はカンタン」と思っている。
なにゆえ、オマケ・オタク・カンタンなのであろうか。
その答えは明快だ。
日本の教育システムが地学をそのように貶めているからなのだ。
小学、中学の義務教育ではオマケ扱いされ、
高校ではそれこそ教育の場すらなく、オタクしかのめり込めない地学。
そして、センター試験では「カンタン」と噂され、
文系の人に選択されるように仕向けられた地学。
そう思っている人の、ほぼ全員が、
地学をやるには、物理・化学・生物・数学の知識が
不可欠であることを知らない。
ここで勘のいい人はお気づきであろう。
物理・化学・生物・数学を知らなければ地学を理解できない。
また、物理・化学・生物・数学をわかった上で地学を学んでない人に、
地学は「教えられない」のだ。
だから、小学・中学のレベルでは、誰のレベルとは言わないが、
地学をオマケ扱いして逃げるしか手がないのだ。
このような残念な経緯ですっかり貶められた地学であるが、
地学に携わる人々の熱い思いが、ある方面に表れている。
それは、学科名だ。
地球科学や、地球惑星科学、地球システム科学という名のつく学科は、
ここ最近(10数年前から)にできたものだ。
以前は、地学科。
ほかには地質学科、鉱物学科、地球惑星物理学科など、
なにやら「オタク」をイメージする名称であった。
個人的見解だが、イメージアップに一役買ったのは
気象予報士試験の存在ではないかと思う。
気象予報士試験は確か1990年代半ばにできた新しい資格である。
石原良純が受けたり(何を隠そう、私が気象予報士試験の
試験監督をやった会場で彼は受験していた)、気象予報士資格をもつ、
ステキなお天気お姉さんが出てきたおかげで、
気象については「オタク」のイメージが払拭できた。
地学(以下、地球科学)のなかの一つの分野に気象がある。
その、気象のイメージアップの機会を逸しず、
多くの大学は学科名変更に踏み切ったのではなかろうか。
#公には、地球科学のなかの各分野は独立したものではなく、
地球は一つのシステムとして動いているのだから
学科名も分けるべきではない、のような議論を出している。
しかし「カタカナ名」のほうが今の子に受ける、とか、
「地学」より「地球科学」のほうがカッコイイ、
という考えが教授陣の頭にあったのは確かであろう。
少なくとも、学科名改正を進めた一教授からのナマの話を
私は聞いている。
話がだいぶ逸れたが、
地学を「オマケ・オタク・カンタン」イメージから脱却させ、
地学から地球科学へと昇華させ、
地球科学は本当は総合的科学で高度な次元にある学問であると
知ってもらいたいと、多くの地球科学者は考えていることであろう。
いやそれ以上に、その総合的科学で高度な次元の地球科学は、
実は、人の生活と最も密接した科学である。
これが多くの地球科学者が、みなに一番知ってもらいたいことであろう。
残念ながら、地球科学は3.11のように大きな災害がないと注目されない。
しかし実は、建物を建てるときには地質の知識が必要で、
天然資源を使う(採掘する)には鉱物などの知識が必要で、
自然災害の起こりにくい引っ越し先を選ぶには地形の知識が役に立ち、
自然災害が起きたときには自分に何が襲いかかるかを知るために、
地震や火山噴火の知識が必要となるのだ。
ところで、表題は「総合学問」となっている。
これまでは、「総合的科学」として述べてきた。
3.11のおかげでその名称が少しは知れたと思うが、
「古地震」という言葉を耳にするようになったであろう。
地球科学のなかでも古地震に携わるには、
科学の知識に加えて今度は古文書の解読が必要になる。
つまり、「国語」という教科の「古文」の知識が必要なのだ。
また、歴史で変化が起きたときには、実は地球科学的イベント
(=自然災害)が起きている場合が結構ある。
たとえば、三大改革のひとつである寛政の改革(1787~1793年)。
天明の大飢饉で国中に一揆がおき、改革につながっていった。
この天明の大飢饉。
ただの飢饉を日本最大の飢饉たらしめた原因は、
アイスランドのラキ火山の噴火であるといわれている。
1783年に大噴火をしたラキ火山(※)の火山灰は地球上を覆い、
日光を遮断し、農作物が育たず飢饉が加速した、というわけだ。
※今生きている人は、これほどの規模の大噴火を経験していないので
想像がつかないのはお許しを。
このように、地球科学的イベントによって、
「社会」という教科のなかの「歴史」の説明ができることがあるのだ。
地球科学が総合学問であることは、もうおわかりであろう。
極めつけは「地球科学を志すなら、英語ができないと話にならない」。
なぜなら、そんなわけで隅に追いやられている地球科学は、
日本では予算もごく限られ、学べる学科も少ないせいで、
世界でも滅多にないほどの地球科学イベントだらけの国なのに、
相対的に地球科学の研究者が少ないのだ。
つまり、日本語でのやりとりにはパイが少ない分、非常な限りがあり、
どうしても諸外国に研究者とのやりとりが必要なのである。
この世界の公用語は英語。
認められる論文も英語。
だから、英語ができないと論外なのである。
#ただし、この世界に入れば、英語は否応なしに身につくので、
幼い頃から身につけるべき基礎学力としてはあまり重要でない。
地球科学を語るのに、「国語」「数学」「理科」「社会」「英語」
が登場した。
「なんだ、5教科全部じゃないか」と、さすがに誰でもわかるであろう。
これでもアナタは、オマケ・オタク・カンタンな学問と言うであろうか。
いや、きっとオマケ・オタク・カンタンなどという卑語はとっくに頭から消え去り、
なんて奥深い地球科学! と魅了されていることであろう…。
なんてこたぁないのはよくわかっている。
そう思ってもらえれば自分が嬉しいだけである。
地球科学がオマケ・オタク・カンタンでないことを、
ここでは魅了されずとも分かってもらえるだけで幸甚である。
それほどに、まだまだ控えめな地球科学なのである。
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