鯰絵考察1「江戸鯰と信州鯰」

2019/04/29

鯰絵考察1と銘打ちましたが、2以降があるかの保証はありません。

さて、飾れる鯰絵を入手したところで、困ったことが。
くずし字が読めない・・・。
鯰絵の周囲にちりばめられている、日本語のはずの文字が読めない。

鯰絵のなかでも筆者が最も好きな「江戸鯰と信州鯰」。

そこで、トライしました。
読んでみようと。

とはいえ、まったくのド素人なので、やはり鯰絵に興味を持ってから知ることとなった、京都大学が開発した「みんなで翻刻」を頼ることにしました。

もともと、古い資料を翻訳して、そこから科学的に使えそうな情報を取り出して過去の地震などの災害を明らかにしよう、という試みなので、きっと鯰絵もあるに違いないと検索。

ありました。

ありがとう、「みんなで翻刻」!
・・・ん?
翻刻の字数と鯰絵に描かれている字数が違うぞ?
翻刻された日本語が明らかにおかしいぞ?

なんと、翻刻完了となっているにも関わらず、どうやらかなり間違いがある模様。
仕方ない。へんな部分は自分で読むか。

現代はありがたいことに、くずし字見本をおいてくれているサイトまであります。

それらを頼りに必死に調べた結果、ようやく翻刻できました。

(クリックすると高解像度の画像が開きます)

これは辛辣な風刺画でした。
いくつかのサイトも参考に、かつ自分の観察結果に考察も加えました。
当時の言葉がわからないこともあり、この翻刻が完全なる正解かもわかりませんが、大方はあっていると思います。

【右上 雷】
「地震 雷 火事 親父」とは、怖いものの代名詞として代々伝わる言い回しです。
この言い回しが、江戸時代からあったことがここでわかります。
赤いヤツは鬼ではなく、雷さまです。
頭を掻いて困ったふうです。
4つの怖いもののうち、雷は「地震は手に負えない」と思っているようで、これを火事と親父にも報告しようとしています。
つまり、4つの怖いもののなかで一番怖いのは地震だということがわかります。

現在はどうでしょうか。
親父はご存じのとおり、その威厳はすっかり失墜し、今はお袋の方がはるかに怖い存在になっています。
雷は、避雷針が開発されたおかげで、雷による死者はほとんどいなくなりました。
火事は、消防技術が進むと同時に建物の不燃化が進みました。
しかし、地震はどうでしょう。
日本人ならいわずもがな、地震のたびに今でも多大なる死者を出しています。

【右上2番目 鹿島明神】
鹿島明神とは、茨城県鹿嶋市にある鹿島神宮の神様です。
昔、地震は地下にいる鯰が起こしていると信じられ、それを鹿島明神が要石(かなめいし)で押さえつけることによって地震を起こさないようにしていたという話があったそうです。
ところが、この鯰絵ではどうでしょう。
すごい遠近法で描かれ、鹿島さまはずいぶん遠くから大慌てでやってきてこういいます。
「これは大変。早く行って押さえてやらねばなるめぇ」

安政の江戸地震が起きたのは旧暦の10月(安政2年10月2日:1855年11月11日)。
10月と言えば神無月ですので、きっと鹿島の神様も神在月の出雲にお出かけだったのでしょう。

ってかあんた。遅いよ。地震、起きちゃったよ。
ってかあんた。神様なら出雲から走ってこないでテレポーテーションしなさいよ。
ってかあんた。茨城県民なのに、なんでべらんめぇなのよ。

と、この人はいろいろツッコミどころが満載で、自分的にこの絵のなかでもっとも愛すべきキャラです。

【左上 歌】
ここが現代語訳のなかでもっともアヤシイ場所です。
仮名はおそらく合っています。
それを漢字にして現代に通じる言葉としてみましたが、本当にこれでいいのか、どなたかその道のプロの人がいたら教えてください。
(2018.2.25追記)
仮名はあっていました。しかし、意味を取り違えていたので、以下、訂正したものを掲載します。

「水かみの つげに命を助かりて 六分のうちに 入るも嬉しき」

この歌は『地震除けの歌』といいます。
他の鯰絵で明確にこのタイトルが付いています。

・水かみ=水神:今ひとつはっきりわかりませんが、さる論文によるとその昔、鹿島明神(当時は香島天之大神)は「天・境界・水」の神の総称だったそうです。これを採用すると、水神は鹿島明神といえます。
・つげ:お告げ
・六分:これは、お金の単位です。が、金なのか銀なのかわかりません(金の6分と銀の6分では現在価値にしてまったく額が異なります)。また、日銀の資料によると、円換算するには素人には難しすぎて不可能でした。
・うちに:自分の懐(お財布)に

ということでまとめると、「鹿島明神のいうことを聞いたら、命が助かった上に、(復興特需で)懐も潤っちゃった」という、ちゃっかりした歌でした。

ところで、この歌は瞽女(ごぜ)という目の不自由な女旅芸人が唄っているようにも見えます。
恐らくですが、瞽女の方々は日々辛い暮らしをしていたのではないかと思います。
そういう方からすると、「命が助かったうえにおぜぜまで転がり込んでいい気なもんだねぇ」と思いたくなるような気がします。
そう見ると、江戸の商人・職人への皮肉の歌とも取れます。

【左上】
「もう引っ込め、引っ込め」と言っている人のすぐ下に、お坊さんがいます。
このことから、こちらの信州鯰は、善光寺地震(1847年)ではないかと推測できます。
安政の江戸地震(1855年)の一番近い時期に起きた信州の大地震は、善光寺地震ですから。

【左端 いなか】
いなか、が何を表しているのかわかりませんが、江戸からすると信州の田舎の人々、ということでしょうか。
ここには仮名で「まんざいらく」と書かれており、意味がまったく分からないので調べました。
なんと、福島県と宮城県の県境に位置する萬歳楽山というのがあり、地震よけの山として信仰されていたとのこと。
そこから、「まんざいらく、まんざいらく」が地震よけの呪文となったようです。
地震ヲタの筆者ですが、これは知らなかった・・・。

ただし、萬歳楽山のページによると、この呪文は東北地方、関東地方、北陸地方あたりに広まっていたとか。
信州は入っていない・・・。
北陸まで入っているので微妙ですが、信州の町民が主に東北・関東で使われていた呪文を唱えるのもいかがかと思います。

【左下】
今では差別用語となる言葉が入ってしまっていることは御容赦ください。
江戸時代に使われていた言葉を、そのまま絵に載っけているだけです。

この絵全体の下のほうに書かれている言葉から、当時の世相がよく分かります。
ここがまさしく風刺画と考えられるところです。

まず、左下ですが、目や足の不自由な方が、大変困っています。
「おもらい」とありますので、当時の彼らは寄付で生活していたのでしょう。
寄付してくれる人が地震で困窮すると、自分達はさらに困ってしまう、それが描かれています。

これを現代に置き換えてみましょう。
避難所では、病気のある人、お年寄り、赤子が大変辛いと聞きます。
ただでさえ、水も食事もままならないのに、薬や離乳食など手にできないからです。
健康な人も疲れ果て、弱い方を救う気力もなくなる。
江戸も今も、実害の怖さは同じなのです。

【下中 職人】
これぞ現代に直結する皮肉です。
いわゆる「復興特需」に沸いた人を描いています。
地震で家々が倒れると、大工の出番です。
倒れれば倒れるほど新たな建築需要が生まれますから、なまずを懲らしめようとしている人々(公家、武士、商人、歌舞伎役者、花魁)を「まぁまぁ」となだめています。
おまけに「わっちらが困ります」って、まるでもっと壊れて欲しいみたいな言い方をしています。

【右下 おでん】
おでんやのおかみさん、やはりなまずをかばっています。
自宅が潰れた人々は、きっと外食にわんさと繰り出したのでしょう。
おでんやのおかみさんは、儲けてウハウハ。
それを古金物屋さんに「ご覧よ、みんなでよってたかっていじめて」と、まるで聖人か何かのフリをしていますが、実のところ「台所が潰れちまったほうがアタシが儲かるんだよ」と言いたげです。
それが証拠に、古金物屋さんは答えに窮して頭を掻いています。

【右端】
ここには会話の文字がなく、屋台の「二八そば・うどん」とありますが、これを襲っている輩がいます。
火事場泥棒でしょう。
鹿島明神の吹き出しの下に隠れてしまいましたが、実はココにも泥棒らしき人影が隠れています。
あまり報道されませんが、今の日本でも地震の際の泥棒は大変多いと聞きます。
これも、今も昔も変わらず、人でなしは人でなし、ということですね。

以上、「江戸鯰と信州鯰」の(勝手な)考察です。
注目していない人もこのかなにはまだまだいますので、ぜひその服装や表情から妄想を膨らませてみてください。