鯰絵考察2「あら嬉し大安日にゆり直す」
鯰絵考察1「江戸鯰と信州鯰」で、目が離せないマヌケなキャラ「鹿島明神」がどうしても気になってしまい、ヤツをフィーチャーした鯰絵を探したところ、今回の「あら嬉し大安日にゆり直す」にたどり着きました。
えらいかっこつけてますねぇ。
さっそく、何が書かれているか見ることにします。
まず歌のようなものですが、分からない単語だらけです。
なんとか独自に調べて翻訳したうえさらに意訳してみたので、この方面の専門家の方、誤りがあったら指摘してください。
翻訳「ああ嬉しい 大安の日に 今後元に戻る 神の御治世 永遠にお祝いだ」
意訳「なんと嬉しいことだねぇ。大安の日に(鹿島明神様が鯰を押さえてくれたから)今後きっと復興するよ。神様が治めてくださっている世の中は、永遠におめでたいねぇ」
※意訳はかなり勝手な妄想入りなので要注意。
なにしろ、「御万歳楽」の使用方法がわからないのです。
どうも「お祝いしたいことがあったときに使うセリフ」的な感じのようなので「めでたいねぇ」としてみました。
歌と鹿島明神から読み取れそうなことを見てみます。
歌は、大安とか嬉しいとか万歳楽とか、概して「めでたい」につながる言葉がズラズラ並んでいます。
とするとこの鯰絵は、一般的によく言われている「地震封じのお守り代わりのもの」でありそうです。
しかし筆者はもうちょっと違う可能性も見てみたいです。
そのヒントはやはり、(地震に間に合わなかった)鹿島明神でしょう。
この絵は、鹿島明神が鯰(なまず)を要石(かなめいし)で押さえつけていますので、地震を見事に押さえているように見えます。
この鯰絵も安政江戸地震の時期に作成されたようなのですが、安政江戸地震は1855年11月11日にM7クラスの首都直下地震として発生してしまいました。
だから「江戸鯰と信州鯰」では、地方にいたらしい鹿島明神は鯰を押さえ込めず、つまり地震発生に間に合わず大慌てで江戸に戻ってきている姿で描かれています(ま、鹿島様は江戸の人でなく茨城の人ですが)。
しかしこの絵では鹿島明神はそこにいますし、しっかり鯰を押さえ込んでいます。
ここで、ごく簡単な地震学のお話しです。
日本の地震学の祖と言える大森房吉は、地震のいろんな特性を数式にしていきました。
その中の一つに、余震に関する式があります。
それによると、余震の数は、緑の線のとおりの減り方をします。
(他のことはどうでも良いので、緑の曲線だけ見てください。)
(気象庁「2004年新潟中越地震の余震活動の予測」より引用)
巨大地震発生直後の余震回数はとても多いですが、時間が経つにつれ一気に減っていくのがわかります。
この、科学として理解されている現象と、鹿島明神が押さえている図と「めでたい」という内容の歌から、この絵は余震が治まってきて復興に前向きになれた頃(がれきの撤去が終わり、余震も減ったため家を建て直せる頃)を表したとも考えられるのではないでしょうか。
さて、以下は謝ってるなまずたちのセリフについてです。
とはいえ、こちらは説明するまでもなくそのままでも理解しやすいです。
「オレたち(を使った料理)よりドジョウ(を使った料理)の方が人気が出ちゃったので悔しくて、ちょっと暴れたら人を怪我させちゃった。先のことを考えないで深い罪を犯してしまったので、平和になるまで砂に潜ってじっとしてるから、許してください。」
という内容ですね。
地震による被害の悲惨さと比べると、なんだか平和な内容です。
柳川鍋といったら、江戸の料理を代表するものの一つといっていいほどメジャーな料理、どじょうなべです。
今でも浅草周辺に「どぜう」と書かれたのれんを掲げて営業している老舗料理屋が複数あります。
安政の頃、どじょうなべは本当に大人気の料理だったのかも知れませんね。
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